現代國語への處方箋

私は康煕字典の字體を如何なる場合も用ゐるべきだなどとは考へてをりません。多分、正統表記を主張する方々も多くは同じ考へではないかと思ひます。手書の場合には、「為」「来」「体」などの略體を用ゐることに何の疑問も持ちません。誰かが手書で「鴎外」と書いても差支へありません。私は鷗外への尊敬の念から敢へてさういふことはしませんが、それは許容さるべきだと考へてゐます。しかし、從來「略字」であつたこれらの書體を「正字」に格上げして活字の世界にまで持込むことには反對なのです。コンピュータ・フォントを含む活字の世界では、これらは「爲」「來」「體」「鷗外」と正しく表記されなければなりません。「正字」といふ既に完成した體系がある以上、それを廢棄して、似て非なる新體系を作る必要が何故あるのでせう。それをすることによつて、どういふ便益があるのでせうか。却つて、言葉を混亂させるだけです。「鴎外」といふ表記が許容されるためには、「鴎外」と書いた原稿が、必ず「鷗外」の字形となつて活字になるといふ約束がなければならないのです。